てくてく

たのしいになりたい

3月まで、もう使わないであろうものを実家に運んでもらった お気に入りだった水色のキプリングから、iPhoneにイヤホンを接続するアレが出てきた アレを失くして、純正イヤホンも失くして、困っていたので嬉しい 面倒くさがりの注意欠陥にワイヤレスイヤホンだけでは心許ないのだ

TOKIOが乗ってるようなでかいバンが来た ミニバンが出払っていたらしい 母がこれを運転してきたとは想像できず、乗っている最中も不思議な気持ちでいた だって母はTOKIOっぽくない それに車といえばわたしの父で、その父を毛嫌いして離婚して「あなたの父」とまで言ってくる母が、父が乗りそうなでかい車に乗っているのは、なんだか申し訳なさすら覚える違和感がある 父は日本のでかいバンなんかダサいと言い捨てそうだが

道中(ドライブだ!)、学校の話と、教育の話と、将来の話と、などをした 大概いつも通りである 学校の話と将来の話などはもう数年変わらない話題で、大体わたしがだらだらとネガティブを垂れ流し、母が母の経験やポジティブなことを言う 教育の話はここ2年くらい、わたしが母と似たような道を選んでからぽつぽつ話題に上がる いつだって精神の底辺を這って決断できない娘の話なんか楽しいのだろうか、と思いつつ、父よりもちゃんと聞いてくれるところはさすが教育関係の人間で、そして「母親」であるな、と感心や尊敬をする 母はすごいのだ すごいからこそ下降思考と停止ばかりの自分が情けなく、申し訳なく、思う

なぜか家に血圧計があり、母ももう歳なのだとまた気づく そういう場面が何回かある しっかりしなければいけないのだもう子供じゃない 低血圧で徐脈ぎみだった 

戻って来たわたしの荷物を入れるために、残していたわたしの荷物を捨てる 未練と愛着の塊なのでどうしても断捨離が苦手で、少しずつ少しずつ捨てながら隙間にあたらしいものを詰め込んでいる 薄らした執着をちゃんと断ち切れるのはいまをちゃんと愛せているからだと言い聞かせて聖書にしていた10000字を捨てた 今愛せているかわからない、絵を描くことについては、昔のスケッチブックをみて安心したりする 90ℓぶんくらい、ゴミとした L表記はずっと慣れない、こっちの方が長いはずなのに

相棒をAmazon primeで見ている 友人と年始に相棒の夢女としてやっていこうと固く誓ったので、鑑賞にも身が入る もとが懐古厨なのでどうしても米沢さんや三浦さんのいない警視庁に慣れないが、しょうがない  右京さんが自殺を止める回と、人が死んだ家が事故物件になっている回と、青木が美人局に引っかかる回などを見た

帰るのが嫌で、どうせ帰ってくるんだけど、3時間目を切ってしまった イヤホンに繋ぐアレを繋ぐイヤホンを取ってこれず、WALKMANのに繋いでみたら右耳が聞こえない そういえば前もそうだったし、繋ぐアレはあまり信用できないのだった 左耳だけで音楽をきいて、文字を書いてたら乗り過ごして、4限にも遅刻しそうだ トランクが転がって隣の人にぶつかりそうになる

生きてるのがずっとつらい でも苦しんで死にたくない 寝ている間に心臓が止まることを願っている でも最近寝付けないので、死にたくないのかもしれない できるだけ母を悲しませたり苦しませたりしたくない、母がそうなるだろうと思えること自体が幸せで恵まれているのは知っているがそれがしんどいときもある わがままなのは知っている 病気の範囲を拡張するのをいい加減やめて、わがままに立ち向かわなければ一生ばかでごみだ、知っていて各停に乗ってしまうから 4限も休む